料理番になった経緯と日常業務の実態
料理番を引き受けた経緯 — きっかけと最初の試練
最初に話をもらったのは、共通の友人を介した軽い雑談からでした。「最近、食事をちゃんと作ってくれる人が欲しいんだけど」と長友さんがぽつりと言ったのがきっかけで、冗談半分で「やってみますよ」と答えたのがすべての始まりです。プロとしての現場や栄養学の専門家が付くケースも多い中、僕の場合は料理経験と人柄を買ってもらった形でした。最初の1か月はトライアル期間ということで、互いにフィーリングを確かめながら進めることになりました。
初めは勝手が分からず、簡単な和食中心のメニューが多くなりました。長友さんのトレーニング強度や好みを聞きつつ、逆にこちらから提案をする。その過程で「これは合わない」「こうすると動きがよくなる気がする」といったフィードバックをもらい、料理の方向性を微調整していきました。失敗もありました。例えばスパイスを多めに入れ過ぎてしまって怒られたことや、塩分管理を甘く見てしまってコンディションに影響を与えかけたこともあり、そのたびに学んでいきました。
一日のルーティンと献立作りの考え方
基本的な一日のスケジュールは朝の買い出し→調理→食事提供→片付け→翌日の仕込み、というサイクルです。朝は早く、チームの練習時間に合わせて朝食を用意します。朝食は消化に良く、エネルギー補給が目的なので炭水化物を中心に、果物やヨーグルト、卵料理を組み合わせることが多いです。昼は練習内容に応じて量や栄養素を調整し、夜は回復重視で高タンパク・低脂質のメニューを心がけます。
献立作りで重視したのは「再現性」と「選手の感覚」です。同じ食材でも調理法を変えれば満足度は変わりますし、食べ慣れた味はメンタル面の安定にもつながります。毎週のベースメニューを決めつつ、トレーニングや試合のスケジュール、疲労度、天候などで微調整をします。調味料の配分や食材の分量はノートにメモして蓄積し、同じ結果が出るよう記録を残していました。
遠征時と突発的な対応 — 現場での工夫
遠征や移動日には設備が限られるため、冷凍保存や常温で持ち運べる惣菜、簡単に温められるメニューを中心に準備しました。例えば鶏胸肉の低温調理を事前にしておき、試合前は温め直すだけにするなどの工夫です。現地の食材で代替する場面も多く、そのたびに味付けや調理法をアレンジして対応しました。
また、急なスケジュール変更や体調不良が出たときには、即席で消化に優しいスープやおかゆを作ったり、栄養バランスを考えたスムージーを用意することもありました。厨房設備が整わない場合はコンロやホットプレート、電子レンジを駆使して工夫するのが常で、チームスタッフとも密に連携して備品を共有したり、現地スタッフに作り方を伝授することもありました。料理番として大切なのは、単に美味しいものを作る力だけでなく、相手の状態をいち早く察して対応する柔軟性だと感じています。
長友のために考案したレシピと印象的なエピソード
試合前に作った「鶏むねと雑穀のエナジーボウル」
試合前は消化が良く、持続的にエネルギーを供給できるメニューを意識していました。そこで考案したのが鶏むね肉と雑穀を組み合わせたエナジーボウルです。ポイントは低脂肪で高タンパクの鶏むねをやわらかく仕上げ、もち麦やキヌアなどの雑穀で腹持ちを良くすること。味付けは塩、黒胡椒、少量のレモン汁とオリーブオイルでシンプルにまとめ、アクセントに刻んだミョウガや大葉を添えて消化を促しました。作り方は基本的に、鶏むねを塩麹で短時間マリネしてから蒸し焼きにし、雑穀はあらかじめ炊いて冷ましておく。試合の2〜3時間前に軽めに提供して、彼が動きやすいように調整していました。
ある遠征中、彼が直前まで緊張して食べられないと言っていたのに、このボウルは「食べやすい」と一口で完食してくれたのは印象的でした。味の好みもそうですが、試合前の精神状態を見極めて量や香りを調整するのが料理番の腕の見せどころだと改めて感じた瞬間でした。
リカバリー用に編み出した「昆布だしの野菜スープ」と携帯回復食
ハードな試合や連戦後には、筋肉の回復と水分・電解質の補給が重要です。そこで作ったのが昆布だしベースの野菜スープ。具は大根、人参、ほうれん草、エリンギなど消化に優れたもの中心で、鶏ガラスープや塩で薄めに味付けして、最後に梅干しを少し潰して加えることが多かったです。梅干しのクエン酸が疲労回復に効くと彼も気に入っていました。温かいスープは胃腸を落ち着かせる効果もあり、夜遅くの帰還時や遠征先のホテルで重宝しました。
また、移動が長い日は携帯できるエナジーバーを常備しました。バナナ、オートミール、蜂蜜、ナッツを混ぜてオーブンで焼き固めたものに、少量のプロテインパウダーを加えて栄養バランスを整える。彼は移動中に手軽に栄養摂取できるものを好んだので、これをバッグに忍ばせておくと安心感がありました。あるバス移動の途中、チーム全員が眠っている中で彼だけがこっそり取り出して食べていたのを見て、「プロはやることが違うな」と感心したことを覚えています。
和洋折衷の一皿と忘れられない食卓の一幕
彼の嗜好は意外と幅広く、和食の安心感も洋食のパンチも両方欲しがることがありました。そこで作ったのが和風タルタルのサーモン丼。生姜醤油で軽く下味をつけたサーモンを刻み、アボカドと混ぜ、上からマヨネーズと柚子胡椒を合わせたタルタルソースを少量。ご飯は玄米を半分混ぜて食感と栄養を補強しました。味のバランスが良かったのか、彼から「これ、家でも作っていい?」と聞かれ、翌週にチームメイトにも振る舞ってくれたという話を聞いたときは料理がチームの雰囲気を変えるんだなと実感しました。
印象的なエピソードとしては、ある合宿で皆が疲れて無口になっているとき、食事の準備をしていると彼がキッチンにふらりと来て、「何か手伝おうか」とエプロンまで借りて手伝い出したことがあります。普段グラウンドで見せる顔とは違う、ふと見せる家庭的な一面にチームの空気がほぐれ、食事の時間が一気に和やかになりました。料理がただ栄養を摂る手段ではなく、人をつなぐツールになる瞬間を何度も見たのは、自分にとって宝物のような経験でした。
料理が築いた信頼関係と現在の取り組み
食卓が教えてくれた信頼の瞬間
選手と向き合う時間は、単に栄養を補うだけの作業ではありませんでした。長友選手と最初に信頼関係を築けたのは、些細な好みの違いや疲れ具合を食事で調整したときです。例えば、遠征続きで胃腸が疲れていると感じた日は、薄味で消化に優しい献立に切り替え、逆にトレーニングの負荷が高い週はエネルギーを補給するための炭水化物やたんぱく質をしっかり摂れる献立にしました。そうした小さな気配りを続けるうちに、「今日はこれが食べたい」とか「もう少し塩気を抑えて」といった率直な要望が自然に出るようになり、コミュニケーションが深まりました。
また、試合前の緊張やコンディション不良で普段の食欲がないとき、無理に食べさせるのではなく「これなら食べられるだろう」という一品を用意することで信頼を得た場面も多くありました。料理は言葉以上に相手を理解する手段になる──そんな実感を何度も経験しました。
細やかな配慮が生む安心感
信頼関係は味付けやメニューだけでなく、時間や環境の配慮からも生まれます。移動の多い選手生活では食事のタイミングが乱れがちなので、調理や提供のタイミングを調整したり、ホテルの設備に合わせて温め直しやすい形で持たせたりしました。そうした「食べやすさ」の配慮が、遠征先でも落ち着いて食事を摂れる安心感につながります。
さらに、アレルギーや嗜好、体調の小さな変化を記録してチームで共有する仕組みを作ったことも信頼を深める一因でした。選手自身が「自分のことを分かってくれている」と感じられるかどうかは、日々の積み重ねにかかっています。その積み重ねがケガの回復期や精神的に不安定な時期にも支えになっていきました。
今取り組んでいること
現在は、現場で得た経験をベースにした取り組みを進めています。一つは選手個々のデータをもとにしたメニュー作りの精度向上で、栄養士やトレーナーと連携して、調理だけでなく食事計画そのものを最適化することに力を入れています。もう一つは若い世代や地域に向けた食育の活動で、アスリートの食事の考え方を伝えることで、生活習慣の改善や健康維持に貢献できればと考えています。
加えて、SNSやレシピ本などで実践的な献立や調理のコツを発信する試みも続けています。現場で培った「選手の声を聞く姿勢」を広く伝え、同じように選手を支える人たちの参考になればと願っています。


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